Space-Shuttle-Challenger-disaster

1986年1月28日、北米東部標準時午前11時39分スペースシャトル「チャレンジャー号」はデータ中継衛星TDRS-B、ハレー彗星観測用衛星「Spartan」の軌道投入ミッション打ち上げ約73秒後に空中分解・爆発しました。クルーにはアメリカでは初のアジア系宇宙飛行士である、日系人「エリソン・オニヅカ」、初の民間人宇宙飛行士で高校教師「クリスタ・マコーリフ」、初の黒人宇宙飛行士「ロナルド・マクネイア」らが搭乗し大きな注目を集めてましたが、乗組員7人全員が死亡しています。事故当初乗員は即死と考えられていましたが、分解後のコクピットは海面に向け落下中で、その間一部の飛行士には意識があり、操縦室の電力を取り戻そうと懸命に対応を試みていたことが後の調査で判明しています。当時TV中継で全世界の人々、乗員の家族やマコーリフの教え子が見守る中での悲劇は後のアメリカ宇宙計画に大きな影響を与えています。事故調査には元国務長官ロジャース氏を委員長とする大統領事故調査委員会が組織され、徹底的な原因究明を実施。最終的に右側固体燃料補助ロケットのOリングの破損と設計ミスで外部燃料タンクの構造破壊を招いた結果と断定されています。写真はクリスタ・マコーリフ視点で撮影されています。続きを読む