1973年6月3日、第30回パリエアショーの会場にてソ連が誇る当時最新鋭超音速旅客機(SST)ツポレフ『Tu-144S(コンコルドスキー※)』(CCCP-77102)が何万という観衆が見守る中パリ郊外のル・ブルジェ空港北側の村落に爆発しながら分解墜落し、乗員6名および地上の住民7人が死亡、25人以上が負傷する参事となりした。CCCP-77102はTu-144量産型モデルとしてロシア南西部「ヴォロネジ航空機製造工場」で製造、1972年3月20日初飛行に成功。国際的な航空ショーであるパリエアショーはライバルである「コンコルド」を超える性能(カタログ上)を西側諸国に見せつける絶好の機会であり、50機種の航空機ライセンスを持つテストパイロット「ミハイル・ゴズロフ」大佐を機長に、優秀なエンジニアとスタッフで万全な体制で臨みました。事故当時は雲が出ているものの飛行に支障は無く、デモフライトに飛び立ったTu-144は会場上空を滑らかに旋回飛行。垂直に機首を上げ急上昇に移ろうとした直後、突然失速し機体が分解しながらきりもみ状態で墜落しました。※NATOコードネーム(チャージャー)
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事故後、フランスとソ連による事故調査が開始されますが、ボイスレコーダーは損傷が酷く、残骸の組立てと撮影されていた映像から検証を行っています。残骸からはエンジン、機体から基づく火災や爆発の兆候は発見できず、ゴズロフ大佐のピッチ角約38度で機首上げに対する出力制御が争点になりましたが、飛行中Tu-144の付近にフランス空軍のミラージュIIIR(偵察型)が同高度で付近を飛行していたことが確認されており、事前に知らされていない大佐がこれを回避しようと行動を取ったことが空中分解に至ったとソ連では主張しています。但し当時最新鋭超音速旅客機Tu-144の機体情報を西側であるフランスに公開していない為仮説の域を出ず、コンコルドに対抗するために過激な飛行操作を行ったという説もあり真相は不明のままです。
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